秋山洋子(あきやま ようこ)さん
1942年生まれ。
1960年代の大部分を大学ですごしたが、60年代末に学生運動の高揚と崩壊、自分の結婚出産が並行して、突如主婦的状況に追い込まれ、そこでバークレーからリブの風を持ち込んだ反戦運動カップルに出会う。子持ち・仕事もちの女たちと「ウルフの会」をつくって米国リブの報告集『女から女たちへ』を出版、つづいて自分たちで体のことを調べ、書いて小冊子を発行した。
個人的には地域で無認可保育所の共同運営、公立保育園の父母の会にかかわる。74−81年家族と旧ソ連で暮らし、第二子をモスクワで産む。著書に『女たちのモスクワ』(勁草書房)、『リブ私史ノート』(インパクト出版会)、『私と中国とフェミニズム』(同)。
現在は大学で留学生の日本語教育やジェンダー論の演習を担当。


米津知子(よねづ ともこ)さん
1948年生れ。会社員。「SOSHIREN・女のからだから」メンバー。
2歳8ヶ月でポリオに罹り右足に障害をもったことから、"女として欠けた自分は男から選ばれない"と思い込むが誰にも言えず、一人で生きるために職業をもとうと美大に入るが、女子学生の就職の難しさを知る。
69年、学園闘争のバリケードに飛び込み、本音を語る開放感を味わった。しかし男子学生との違いを感じ、70年に女のグループ「思想集団エス・イー・エックス」結成に参加。他の女のグループと出逢い、72〜77年を「リブ新宿センター」で過ごす。82年からSOSHIRENに参加。優生保護法による優生思想と女性の生殖の支配は、女性と障害者を対立させるが、それはともに解放をめざす契機にもなると思い、実現を願っている。
『母体保護法とわたしたち』(齋藤有紀子編著・明石書店)『否定されるいのちからの問い・横田弘対談集』(現代書館)に文章・対談が掲載。


山田すが子(やまだ すがこ)さん
58歳。現在、青森県十和田市在住。
美容室(毒素をとり出すパーマで、気功術も入れる)のかたわら、無農薬の畑づくりと、ヘルシーフーズを扱う小さな居酒屋もやってしまった。1970年、いのししの旗かかげた"ぐるーぷ斗うおんな"を新聞で見てしまい、いきなり飛び込む。"子殺し"は、ちょうど妊娠した時で、産む前に現実をたたきつけられた問題でした。
共同生活(コレクティブ)からリブセンに移行するあたりに、タケとタケの子供と、なんと妊娠8ヶ月で、返還前の沖縄を知りたいと渡ってしまう。1年後、東京に帰り、"オレンジハウス"へ入り、それから"東京こむうぬ"へと続いていきましたが、私がこむうぬに居たのは最初のあたり。
3年後、共同保育――あのね保育園へと流れていきます。現在"明るい老後"の共同住宅、無農薬農業を中心としてやっていけないか模索中。


青海恵子(せいかい けいこ)さん
1951年生まれ。青森県弘前市出身。1982年上京。
翻訳家、NPO法人フットルース代表。3年前からパートナーと娘と三人で横浜に在住。
訳書;『おしゃべりな口』『こまったくちばし』(岩波書店)『車椅子の高さで』『父と息子』(晶文社)『ナイト・ガーデニング』(ディスカバー21)『障害者権利条約』(千書房)他。
エッセイ:「ユージーンへの旅」(総合国語三省堂所収)「障害にたいする漠然とした不安と恐怖」(『インパクション97』所収)「障害と性」(『家族へのまなざし』弘文堂所収)


大橋由香子(おおはし ゆかこ)さん
1959年生まれ。
「日本読書新聞」「新地平」「翻訳の世界」などマイナーなメディアの編集者を経て、現在、出版関連の請負仕事をしている。所得倍増をめざした3つめの転職先で産休をとって職場復帰したが、第二子出産を機にフリーランス。82年からSOSHIRENにも出入りする。著書『ニンプ・サンプ・ハハハの日々』(社会評論社)『からだの気持ちをきいてみよう』(ユック舎)『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)。共編著『働く/働かない/フェミニズム』(青弓社)『キャリア出産という選択』(双葉社)など。


海妻径子(かいづま けいこ)さん
1968年生まれ。岩手大学教員。専門はフェミニズム・男性史研究。女性学やフェミニズムが盛んな時代に学生だった。非常勤講師を経て、現在は正規職員になったものの、単身赴任しているため、小学生の娘の子育てに悩んでいる。
著書『近代日本の父性論とジェンダー・ポリティクス』(作品社)『ジェンダー・フリー・トラブル』(共著、白澤社)