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2007年1月、柳沢厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言に各層の女たちから批判が続出しました。このことは、妊娠・出産も育児も困難な現実の一方で、「産む・産まないは女(わたし)が決める」という考え方は広く共有されていることを明らかにしたと言えるのかもしれません。
今から25年前の1982年に、優生保護法という法律の変更が国会で議論されました。その名のとおり、優生=「人口の質」を向上させることを目的とするとともに、刑法堕胎罪とセットになって、女が子どもを産むか、産まないかを管理しようとする法律です。優生思想を強化し、中絶を禁止する法改悪だと反対して声をあげた私たちのグループは、「女(わたし)のからだは、わたしのもの」という視点から、その後もいろいろな問題に取り組んできました。
96年に優生保護法は母体保護法に変わりましたが、優生思想は消えたでしょうか。女(わたし)たちが自由に生きられるように変わってきたのでしょうか。
「女(わたし)が決める」状況になってきたのでしょうか。
少子化が進み、産婦人科が減り、その一方で、不妊クリニックは増え、そこでは体外受精などの生殖補助技術が一般化しています。卵を体外に取り出したことで、卵や胚を材料として利用する技術も進んできました。また中絶胎児も材料として期待されています。
25年前の<過去>の経験や思いと、<現在>のそれとをつないでいく、違う経験をしてきた人たちが、それぞれの思想や気持ちを共有していく。そんなことをめざして、連続講座をはじめます。
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