「少子化社会対策基本法案」に物申す−わたしも一言いいたい!
わたしにも一言いわせて! わたしも言いたい! わたしの意見!

みなさんから寄せられた、「少子化社会対策基本法案」への意見をご紹介します。
No.4 太田誠一衆議院議員、森元首相、石原慎太郎東京都知事、に物申す (S・K)
No.3 「少子化社会対策基本法案」への意見書(あんふぁんて・どんな保育がほしい会)
No.2 あの法案は私もひとめみたときから気持ち悪くいや〜な気分でした(R・H)
No.1 「少子化社会対策基本法案」について、発想の転換を求めます(むらき数子)


  No.4 太田誠一衆議院議員、森元首相、石原慎太郎東京都知事、に物申す
●S・K
太田誠一衆議院議員
「集団レイプをする人はまだ元気がある、正常に近い」
「男性に配偶者を求める覇気が欠けていることが少子化の原因」
「それほど強く異性を求めているのであれば、きちんと結婚する相手を求めるべきだ」

森元首相
「女性が自由を謳歌するために子どもを産まない」
「子どもを産んだ女性に年金をあげるのが本来の福祉」
「結婚しないのは、なにか不自然な考え方が頭にあるから」

石原慎太郎東京都知事(松井東大教授の発言を都合よく解釈しての発言)
「“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア”」
「“女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪”」
どこまで「女」をバカにすれば気がすむのでしょうか。
絶対許せません。
こういう人たちがこういったえらい立場について、のうのうとこんな発言を繰り返している以上、少子化対策などすすめても無駄です。どんなに議論を重ねたとしても、どんなに予算がついたって、「女」は子どもを産みません。
産めません。産む気になどなりません。冗談じゃない。
あなたが少なからず「みんなが子どもを産みたいと思う社会を、環境をつくりたい」と思っているのなら、まず先にこういう人たちを辞めさせてください。意志を態度で示してください。


  No.3 「少子化社会対策基本法案」への意見書
●あんふぁんて・どんな保育がほしい会

 私たちは「あんふぁんて」(フランス語で『出産する』という意。転じて「創り出す」。)という、子どもを産むだけではなく自分の人生をも積極的に主体的につくり出していくことをめざすグループです。1975年3月に新聞の呼びかけから始まり、全国の主に幼い子どもをもつ、まさに子育てまっさい中の女性たちが集まり、会員はのべ6900名になります。
 今回の法案が審議されていることを突然のように知り、グループの中の「あんふぁんて・どんな保育がほしい会」が中心となって話し合いを持ちましたが、いくつもの疑問や懸念が出てきましたので、ここに意見書としてとりまとめました。読んでいただけたら幸いです。
  1. 前文他の文言の表現が適切とは思えない。

    1. きわめて"おどかし的"で、法律としては客観性に欠けるのではないか。明らかに度が過ぎて、何か他に目的があるのかと勘ぐりたくなる。
      「我らは紛れもなく有史以来の未曾有の事態に直面している」(前文)
      「社会の根幹をゆるがしかねない事態」(前文)
      「我らに残された時間は、極めて少ない」(前文)他、「事態」の多用(前文)。

    2. 価値観やイメージを一方的に押しつけているのではないか。
      「家庭や子育てに夢を持ち」(前文)
      「生命を尊び」(前文)
      「…できる社会」「…できる社会」(前文)と二つも記載。

    3. 上(国)から強権的に意図的に人口政策を指示しているのではないか。
      「少子化の発展に歯止めをかける」(前文)

    4. 女性の自己決定権の表現が明確でない。逆説的逆説的ニュアンスで誤解を生む。
      「もとより……であるが、」(前文)

    5. 女性のみがイメージされ、育児の責任が男性にもあることが不明確である。
      「生み、育てる者」(前文ほか)

    6. わかりにくく、ともすれば体ごと、もとでとなれ!と言われている気がする。
      「実現に資するよう務めるもの」(第6条)

    7. わかりにくい。何をさすのかもっと具体的、簡潔なことばに置き換えるべきだ。
      「雇用刊行の是正」(第10条)

    8. 「過度の」を付け加えた方がよいのでは?
      「教育に関する心理的負担」(第14条)

    9. ともすると健康でない者や、障害・病気をもつ者を差別しかねない表現である。一考を。
      「健やかに」(前文ほか)

    10. 明確に男性の育児参加を促すような、もっとやかりやすい文言を入れるべきである。
      「男女共同参画社会の形成」(第2条)

    11. 法案名に一考を。それこそ夢の持てるようなもっとあたたかい人間味のある言葉が欲しい。

  2. <女性の自己決定権>については、「基本理念」(第2条)に明確に入れるべきである。

  3. 基本法として総合的にというのなら、第2章「基本的施策」の中に、子育て世代がもつ不安感のもとである次の項目も、含めるべきである。

    1. 母乳汚染やアトピーなどのアレルギーの問題となる、かじきまぐろの水銀や排ガス、農薬・タバコなどの環境汚染対策

    2. 安定した雇用・経済政策

    3. 戦争参加しないという平和への確約

    4. 信頼おける政治・行政の確立

    5. 保育・教育・福祉・医療などの分野での効率優先主義でない人間的な社会への希求

  4. 基本的施策の中の13条の「母子保健医療体制の充実等」を、総合的な健康医療対策へと組み替える。

    1. リプロダクティブ・ヘルス・ライツを明確に入れる。

    2. 不妊治療と限らず、不妊に関する問題を広くとらえる。

    3. 出産に関する問題も加える。

      1. 夫の立ち会い出産の促進。
      2. 会陰切開や陣痛促進剤の使用の際のインフォームド・コンセントの確立。

    4. マタニティー・ブルー及び密室育児へのプレッシャーや虐待防止対策のための、リフレッシュ一時保育の制度化。
 全体的にやはり私たち女性に対して「子どもを産めよ増やせよ」の声が聞こえてくる法案となっていることは、とても残念です。
 私たちは、女性が生きにくく、多様な生き方がせばめられるような法案は、これからの時代の子どもたちに手渡したくないと考えます。




  No.2 あの法案は私もひとめみたときから気持ち悪くいや〜な気分でした。
●R・H 東京都
子どもって国のために生むんじゃないし
国のために育つんじゃない!
生む生まないは個人のもの
生まない生めないどっちでもいいでしょ!
ホントにそう思います

たまたま私は子どもに恵まれたけど
私は結婚後しばらくこどもができず
かといって無理をする気もなかったんだよね
不妊をうけいれることだって、これでは許されなくなるよね。



  No.1 「少子化社会対策基本法案」について、 発想の転換を求めます
●むらき数子

私は、身近な若い女性が、子を産まない、あるいは産めない、でいる現状を見てきています。この法案の根底にある考え方は、彼女たちを苦しめるものである、と思い、反対しています。

もし、体制側が、本当に「若い人口の増加」を望むなら、国籍にも人種にも、そして親の状況いかんにも、全く無関係のはずですよね。親が死亡した子でも、婚外子でも、国際養子でも、在日外国人の学校への補助でも・・・留学生が日本でそのまま就職結婚子育てしたいという場合など、養育コストがかからなくて優秀な人材が得られるのだから、丸もうけ、のはず。
けど、国民はまず結婚せよ、妻となってから不妊治療せよ、というこの法案は、要するに、「日本民族」の純血の子孫が欲しい、しかも、その両親が養育責任をまっとうし国家にはお世話をかけない、という「出産報国」そのまま、家族制度護持です。女性の人権なんか視野になく、閉ざされた社会を再生産しようとするものです。

今とりあげられている「少子化対策」が、ほんとうに、子を育てたい人を援助するものかどうかは、「日本国籍を持たない単身男性が、血縁のない子供を育てようとした時に、この社会からどんな支援が得られるか」と考えてみてください。

「生み、育てる」人を国民である女性に限定するのではなく、日本社会の成員を育てるための養育・教育を国・自治体が保障することに少子化対策の基本を置くべきです。
「養育しようとする人」の資格を、性別・血縁の有無・国籍・婚姻歴などで選別すべきではありません。
「養育しようとする人」を支援することが、子どもを育てやすい社会・子どもを育てることを楽しめる社会の実現につながります。
迂遠のようでも、それが出生数の増加をも促し、真の少子化対策になると考えます。

「少子化社会対策基本法案」について、
発想の転換を求めます。

子どもを産み育てる環境を国が整備することこそが、日本社会の将来の人口にとって有効であると考えます。
「少子化対策」イコール結婚奨励や不妊治療であるかの現在の国・自治体の施策と、今回の法案では、子どもを生みたい女性は増えないでしょう。
法案が、「家庭や子育てに夢を持つことができる社会の実現に資するよう努めること」を国民の責務とすることは、男女を問わず、また日本社会で暮らしている「何人」もの多様な価値観を持つ自由を侵害するものです。
「生めよ増やせよ」政策とキャンペーンが、子を持てない女性・夫婦の人生を圧迫した人権侵害を想起せざるを得ません。

子育てにおける家庭の役割のみを強調しても問題は解決しません。
子育ての責任については、「生み、育てる者」にさらに負担を課すのではなく、国が「現に養育している者」を援助する責任を負うことを明記してください。
正常出産の場合、健康保険が適用されず、自己負担となっていますが、その費用は、非常に高額であり、何人も生むことを躊躇させるに十分です。まず、出産費の負担を軽減することが必要です。公立保育所が縮小・民営化される現状では、安心して妊娠出産をせよというほうが無理です。

日本社会の将来の活性化のために、若い人口に増えてほしいならば、なぜ、生母が生み育てる場合だけを対象にするのでしょうか?
真に若い人口に増えてほしい、のであれば、子どもの育つ環境を保障する施策を進めるべきだと考えます。日本社会で働き納税することを、自ら望む外国人に対して、門戸を開くべきです。
親の国籍や婚姻関係にとらわれず、日本社会の成員を育てるための養育・教育を国・自治体が保障することに少子化対策の基本を置くべきです。
日本国籍を持つ夫婦間の子どもに限定せずに、婚外子や、親が死亡不在の子ども、他国籍の子どもを、この社会の構成員として育てるべきです。
養育者を必要としている子どもを養育するために、養子・里子などの制度の充実・普及をすすめるべきだと思います。

「生み、育てる」人を国民である女性に限定するのではなく、性別・血縁の有無・国籍・婚姻歴にかかわらず、「養育しようとする人」を支援することが、子どもを育てやすい社会・子どもを育てることを楽しめる社会の実現につながります。
迂遠のようでも、それが出生数の増加をも促し、真の少子化対策になると考えます。